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Train and the line culture / 相鉄がJR新宿駅まで乗り入れると起こる事

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ネットをうろうろしていたら、こんな映像を発見しました。私鉄で神奈川県中央部を営業エリアとしている「相模鉄道(相鉄)」が、JR線と接続され、JRの貨物線などを使ってJR新宿駅まで相互直通運転をする、というもののようで、実際に営業を開始するのは2019年11月30日から、だそうです

相鉄のHPによると、相鉄線西谷駅とJR東海道貨物線横浜羽沢駅付近に、2.7キロの連絡線が新設され相鉄とJRの線路が連結。それによって、相鉄全線とJR線との相互乗り入れの直通運転が可能になる……まあ、上の動画のように、既に「なっている」ようです。JR側にも新駅・羽沢横浜国大が開設される、となってます。

また、相鉄と東急は、2022年下期開業を目標に、JR東海道貨物線横浜羽沢駅付近から、東急東横線の日吉駅までの連絡線約10キロを新たに敷設し、こちらとの相互乗り入れ・直通運転も目指しているそうです

へ~~~、ですね

首都圏ではここ30年ぐらい、私鉄と地下鉄、私鉄とJR、私鉄と私鉄など、会社を超えた電車の相互乗り入れが急速に進んでます。とりわけ、ここ10年ぐらいはめざましい。どことどこが、どう繫がっているのか、もう、ワケがわかりませんな
しかしまあ、日本国内の鉄道は、新幹線を除けば、基本、全てレール幅が狭軌(レールとレールの間が1,067ミリ)なので、確かに、線路を結んでしまいさえすれば、どこからどこまででも、極端な話、稚内から鹿児島まで、相互直通運転は可能なんですよ。朝ドラ「あまちゃん」でおなじみの三鉄(三陸鉄道、ドラマでは北三陸鉄道で通称・北鉄)の車両が、「おら、東京さ行くダっ!」とJR線を経由し、地下鉄に乗り入れ、四谷の上智大学の前で花見をすることも理論的には可能です……
 
そんなわけで、アタクシが最初に東京で生活していた1995年ごろですら、東急東横線は中目黒駅で営団地下鉄日比谷線に乗り入れしたし、日比谷線は北千住で東武線に繫がってましたからねぇ。たしかそのころ、東武線がさらに北につながり、浅草から会津が結ばれたんじゃなかったかな?
 
東京での生活ってのは、実は、どの沿線に住むかで、相当違ってきます。元々住んでた人には分かりづらいかもしれませんが、進学や就職で、新たに東京暮らしを始める人にとっては、これは大変なことなんです。極端な話、言い方は悪いですが、「沿線によって人種が違う」のが首都圏です。

私事で恐縮ですが、アタクシは「中目黒」や「用賀」、「三軒茶屋」に住んでいたので、地下鉄を別にすれば、東急東横線や東急田園都市線を使ってましたし、今でも使います。まあ、東京の西側に住んでいるってわけですね。が、アタクシの兄は、かつては「堀切菖蒲園」や「綾瀬」、いまは「浅草」「田原町」に住んでいるので、こちらは東京の東側、いわゆる下町で、利用路線は、同じく地下鉄を除けば、JR常磐線や京成線、東武線なんぞを使ってきたことになります。さらに、従弟が三郷に住んでた時があり、アタクシもここに行くには、JR武蔵野線なんぞを使ったことがあります。
そうした経験から気づいたのが、この「同じ人種なのか?」という疑問なんです(笑)
 
はっきりいって、東横線と京成線、武蔵野線とでは、乗ってる人が「同じ日本人」……つまり、アタクシが日頃、東横線や田都線で見ている乗客と同じ人種……には見えなかった!と言うわけです。まさに、まったく見えなかった!!
ファッションから風体、化粧や持ち物が違うだけでなく、姿勢から顔のパーツの配置までが違ってた!もちろん、車内のニオイも空気感も清掃具合から、網棚に残されているもの……遺留品から忘れ物、放棄品までがそうです
実際に、会社の同僚から聞く、自分とは違う沿線の話……それはもう、ほんとんど「都市伝説じゃないの??」と思うまでの違和感。アレは一体、何だったんでしょう?
私鉄沿線というか、一つの鉄道路線・沿線は、いわば一つの「文化圏」を形成するのでしょうね。線路が続いているところまで、同じ鉄道を利用する人たちの集合体で、これが一つの文化圏を作り出す……。そんなんではないでしょうか?(←面白そうなので、この件、後日、また考察してみます)

さて、まあ、そういうわけで、鉄道沿線というのは、その主要駅を中心に、一つの……あるいは、幾つかの「文化園」を形成してきたと思われるのですが、それまでの終着駅が他の会社の終着駅と繫がったことで、一度、その「文化圏の象徴」である「電車」を降りて、乗り換えることなく、当初の目的に行けることになる
「ストロー化現象」ではないですが、電車の相互乗り入れ・直通運転は、その地域地域の購買エリア・商圏の拡大も含め、地味ですが、社会学的には、ものすごく大きな変化をもたらしているのではないでしょうか?

振り返ってみるなら、地下鉄日比谷線の東武線直通運転、会津への乗り入れも、気楽に日光に行ける、などの活動エリアの飛躍的(しかも安価な)拡大を意味しており、当時でさえも「それは素晴らしいなぁ」などとは思っていましたが、実は、一抹の不安もありましたね。と、いうのも、ある意味深刻な「前科」があったもんで……

それは……例えば、銀座界隈で飲んで、中目黒(←当時は中目黒に住んでいたんですねぇ)に帰ろうとして、地下鉄日比谷線に乗ったのに……朝気づいたら何故か会津に居た……って、それが物理的には可能になってしまう!

そもそも、反対方向じゃん!あり得ない!
 
だれでも最初はそう思います。実はあるんです。そんなことが。いや、実際にあったんです、そんなことが。ある冬の朝のこと、アタクシは目が覚めると、何故かいつも「桜木町」だった……というミステリーを5~6回繰り返したのですよ
 
そもそもは東銀座~築地界隈を深夜に深酒し、始発を待って中目黒に帰ろうとしたのですよ。二日酔いどころが、当日酔いのまんま、です。で、その日の昼手前まで、「気づくと(目を覚ますと)いつも桜木町」というラビリンスの中に入ってしまったのです。何度、気合を入れて家に帰ろうとしても、目が覚めると何故か「桜木町」……
たぶん、最初に「東銀座」で乗った地下鉄が東横線直通だったのでしょう。で、「日吉」だかどこだかはわかりませんが、いずれ、その電車の終点で電車から降ろされる。そこは当然、自宅の最寄り駅「中目黒」ではないので、また手近な東横線の渋谷駅方面に乗り込む……。当時、東横線は渋谷駅が終点で、折り返し運転となるので、眠っていても電車から降ろされることなく、今度は桜木町方面に向かう……。

そういうワケで、乗ってる電車が「回送」とならない限りは、「桜木町」~「渋谷」を行ったり来たり。まあ、運が良かったのか、日比谷線直通の電車には、結果的に乗らなかったんでしょうね。朝の通勤時間帯だというのに、見知らぬ多くの人にご迷惑おかけしました……

もちろん、私鉄と地下鉄、さらにその先の私鉄と相互乗り入れが進んだ現在も含め、念のため言っておきますが、仮に鉄路が繫がり、相互乗り入れ・直通運転が増えたからといって、一つの車両が端から端まで直通運転するわけではありません。ので、当時、アタクシがどんなに泥酔していたとしても、東銀座で中目黒方面に電車に乗ったのに、目が覚めたら(起きたら)奥会津でした……なんてのはあり得ないんですけどね。必ず車両を乗り換えない限り、そんなに遠くまでは行けませんから
 
話が鉄道だけに、えらく「脱線」してしまいましたなぁ

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