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映画「スポットライト 世紀のスクープ」

スポットライト 世紀のスクープ ☆☆☆☆☆/☆☆☆☆☆

アメリカの新聞「The Boston Globe」の記者たちが、2002年に、カトリック教会内で神父による児童への性的虐待が横行していただけでなく、それが組織的に隠蔽されていた……という大スキャンダルをスクープした、その実話に基づく社会派ドラマです

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Spoiler Alert!

2015年の作品で、日本公開は2016年でしたが、公開当時は映画館に行けずそのままになってましたが、今回、毎度のGYAO!で公開されたので、やっとこさ見ることが出来ました。いがったいがった
 
さて、アメリカにおける「カトリック教会」とは単なる宗教団体などではなく、ある意味「政治団体」「政治的圧力団体」でもあり、地域を構成し、住民を結びつける核となる団体でもあります。そんなわけで、カトリック教会の影響力は、日本の宗教団体の比ではありません

そのカトリック教会を相手に、教会のスキャンダル……しかも聖職者による児童への性的虐待を暴こう、というのだから、そこには、まあ、当然のように、様々な妨害やら障害やらが立ちはだかります。本来は公開されるはずの「裁判の記録を公開させない」など、その圧力は半端ないほどです。まさに神をも恐れぬ仕業ですが、何に限らず「組織防衛」というのはこういうモノでしょうね
 
加えてアメリカは訴訟社会であり、契約社会です。協会側に違法性があったとしても、その担当弁護士は「契約」や「弁護士の守秘義務」と楯に、記者たちの真実を求める声に耳を貸しません。弁護士にとっては、「依頼人が言う真実こそが真実」というクールな対応で、まさに「人としてどうよ?」と詰め寄っても、頑なに口を閉ざし続けます
 
そんな障壁にも負けず、記者たちはコツコツと、被害者たちからの証言を集め、公刊されている資料を付き合わせ、記録や過去の記事を調べ、教会ぐるみの「隠蔽」をじわりじわりと暴き出していきます。同時に、弁護士についても、個人的交遊関係も生かしながら、「人としてどうよ?」という根源的な問いかけを突きつけ、遂には、その心を動かします……
 
映画見ていて思ったのは、なるほど、カトリック教会が半端ない政治力を持ち、弁護士が契約と守秘義務を楯に不正に目をつぶっていても、まだ、アメリカには民主主義というか、近代法治国家としてのスジが1本通ってるなぁ……という点ですね
 
例えば、カトリック教会が「公開させない」と圧力をかけていた文書にしても、手続きに則って相手を追い込んでいけば、裁判資料として提出・公開させることが出来る。また、公的資料は、非開示とされていたとしても、それをもってして改ざんされたり、廃棄されたりはしていない

アメリカでは、大統領がホワイトハウスでメモ書きでもすれば、それは「公文書」としてして扱われるそうです。「それはメモ書きだから、公文書には該当せず、保存や公開の対象にもならない」などとする、どっかの非文明国家とは大いに違います。さらには、どんな国家機密・極秘資料であっても、法定の期間がすぎれば「公開」されます。近年ではネット上にもアップされます……

そんな国だからこそ、記者たちは巨大な力を持った「カトリック教会」にも立ち向かうことが出来、最終的に大スクープをモノに出来た、ってなわけです

で、思いました
これ、日本じゃ無理だよな~~

もちろん、「マスコミのレベル」云々(←「でんでん」じゃないよ、「うんぬん」だよ)もあるでしょうが、情報公開制度はそもそも穴だらけだし、運用が重ねられるほどに骨抜きになるし、公開されても、公開範囲(レベル)は、役所側の極めて恣意的な判断に委ねられる上に、実際の公開文書も、忖度の塊で「黒塗り」は当たり前。どっかであったけど、文書のほとんど全てを「黒塗り」にして、平気で公開してくるのって、制度の趣旨自体を完全に無視しているとしか言いようがない話ですわな
 
ちょっと脱線しますが……

昨今の公文書の改ざん・廃棄が当たり前の日本。情けない限りですわ。昭和~平成~令和は、果たして未来人からの「検証に堪えない時代」と言う誹りに、どう自らを繕おうというのでしょうか?そんなことを心配してしまいます。公文書の改ざん・廃棄が当たり前なだけでなく、政府が次々と「超法規的解釈」を「閣議決定」していく……。終わってるだろ、これ

とはいえ、国が率先して公的文書を改ざん・廃棄してはばからないこの風潮は、恐らく、太平洋戦争の敗戦が根っこにあるんでは?とアタクシは思いますね
 
敗戦時、当時の軍部はありとあらゆることの証拠隠滅を図りました。片っ端から燃やしてしまったようです。まあ、それだけ、「悪いことをやっている」という全体認識があったのでしょう。もし、「自分たちは公明正大で正当なことをやってきた」と少しでも思っていたのだとしたら、そこまでして「全ての記録を消す」必要はなかったわけですからね。きちんと記録を残しておいて、来たるべき戦勝国による戦争犯罪人裁判で、自らの正当性を主張する根拠・証拠にすればよかったわけですから

「記録が残っていない」=「歴史的事実がなかった」ではないんですが、戦後のある部分においては、この作戦(「記録がない=事実もない」)はうまくいってきたわけです。日本は、その「あいまいさ」に多くの部分をおっかぶせて来たのですな。まさに「あいまいな日本とワタシ」ですよ。そしてそれは結果として、「都合の良い記憶」だけをありがたがる歴史修正……いやいや……、歴史歪曲主義者たちをして「自称・愛国者」たらしめてきた、ってワケですよ。気持ち悪いことに。まさに、矛盾だらけであっても「都合の良さ」や「聞こえの良さ」だけをかき集めて厚化粧した「美しい日本とワタシ」……。川端センセは泣いているぞーーー
 
自らに不都合と思われる証拠を全て消してしまった歴史だけが、「未来に残すべき貴重な遺産」なのだとしたら、それは虚栄の塊にして「裸の王様」以下の話なのではないかと、アタクシは思うのですけどね……

しかしまあ、そう考えると、戦後から現在に至る「日本の戦後処理」というものは、ある意味、「消した記録」と「消せない記憶」のせめぎ合いみたいなものかもしれないですわな……

そうそう。そういえば……
この映画はiPadで見たのですが、どうやら機種が古すぎるようで、先日のバージョンアップからOS自体が対応せず、iPadでGYAO!を見ることが出来なくなってしまいました。これってアタクシ的には物凄い打撃なんですけど……買い替えろ、ってことですかねぇ……まだまだ不都合なく使えるのに……。これまた「不都合な真実」ってヤツです(笑)

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