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徒然なるまんまみ~あ……四方山話から始まる四方山話

徒然なるまんまみーあでその日暮らし、ふぐりを向こうにココロにうつりゆくロクでもないことを、底浅く書き綴れば、あやしうヤツこそ、もの欲しグルメ。いにしへ人に曰く、事実は東スポよりも奇なり。人生は糾えるチョコレートボックスの如し、と……

▼四方が山の話、と書いて「四方山話(よもやまばなし)」……世間話、いろいろな話題の話、と知ったのは高校の時だったような記憶がある。当時の部活で、冊子だか何かを作ることになり、そのタイトルを決める時に、何故か先輩が墨書した「四方山」の紙を持ってきた。「しほうざん?相撲取りのしこ名かなんかですか?」などと面白くもない冗談を言って、場を緊張させてしまったっけ。「いろいろな話題を幅広く拾い上げていこう」みたいな趣旨だったか。なんでそんなことがあったか、今となっては全く思い出せない。が、「しほうざんの話」は、「一本刀土俵入り」とは無関係で「雑談のことだ」と知ったのはこの時だった
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▼最近気になったこと。東京電力福島第一原発の処理済み汚染水の話で、新聞の見出しは各紙とも「処理水」。が、あれは、原子炉内で溶け落ちた核燃料を冷やすために使われている水なはずで、相当に放射能汚染されてるはず。汚染水は、アルプスとかいう放射能除去機械を通してはいるが、完全に無害化出来ているわけではなく、トリチウム(三重水素)やストロンチウムは残ったまま。しかも、ストロンチウムは1リットルあたり約60万ベクレルの濃度で検出さてるとか。確かに本文を読めば、「処理済み汚染水」とは書いてあるが、それを「処理水」と表現するのは、隠蔽工作と言われても仕方ないだろうな。これで納得しろ、と言う方が無理があるだろう
▼聞くところによると、いま宇宙は「風の時代」だそうな。オリジナリティーと自由がキーワードとな。さて、では「自由」とはなんじゃらホイ、などと考えてみる。アナタにとっての自由がワタシにとっての自由でもあり、ワタクシの自由が、アナタの自由を妨げることがない……そんな関係でしょうか。しかしながら、近江商人にしても、大岡越前にしても、関係者全員が100%満足、ということは難しい。何故ならば、人と人の関係とは「基本的に相互に迷惑なもの」だと思うからだ。迷惑な関係だからこそ、よりよい着地点が得られればハッピーで、そうでなければ衝突を生む。そんな具合に考えてみた。だからこそ、迷惑承知!迷惑上等!でやるしかないってわけではあるが……
▼生憎と、人は、具体的に言葉や態度に表さないと、他の人には、その人が何を考えているかなんて伝わらない。「わかんねっきゃ、わかれ!」って、高校時代の数学の先生はよく言ってたが、「わかれっ!」だけでは「わかりもはんっ!」。おかげで数学の点数が伸びず、理系に進むチャンスを失ったじゃないか!(笑)話し合いがダメなら「手紙」を書くとか、メールでダメなら電話してみるとか、いろいろな手段を尽くしてみることも、「言葉を尽くしわかってもらう」ことの範疇に入っていると思う。沖縄の米軍普天間基地の辺野古移設問題もそうだが「これしかない」」「この道しかない」というのは、単なる思考停止だよ……ってなんかさっきと矛盾してないか?(笑)
▼書く・読む・理解する……1人の人間の中ですべてが展開している分にはどうという問題はないが、誰か他人が絡み出すと、コトは突然複雑になっていく。当たり前と言えば当たり前のことだ。ある意味、「ワタシは大○隆○であって、大○隆○ではない」のだな、これが。困ったことに。それ故、「書いたから」といって、必ず「読まれるわけじゃない」し、仮に「読んだからといって、正確に理解されるものでもない」。全部をフォローしているわけじゃないし、サイトにUPしたからといって、わざわざ見に行ってるとは限らないのだ。それはフォロワーだって同じ。自分の理解は常に他人の理解とは違う。気をつけねばならん話だ。誤解は六回でも七回でも起こりうる
▼記憶というのは、だいたいは本人に都合のいいように改竄されてしまうものらしい。科学的には知らないが、経験上はその手のことは甚だ多い。それを知っているから、自分に関してはその時その時の感情なり、理解なりを何らかの形で「記録」として残しておくようにしている。そんな意味ではブログなんてものは、ある意味、全てが「作文」で、フィクションの塊と言ってもいいのではないだろうか。他人からしてみれば、「どうぞ、自分の城で勝手にやってちょ」という話だろう。しかしながら「SNSで晒してやる」みたいな脅し文句はどうだろうか。どうにもこうにも煮詰まり過ぎだろう。そんなとき、人は過去の経験と現在とを結びつけ状況判断するものだ
▼SNSにせよブログにせよ、要は一方的な情報発信のためのツールであって、双方向の会話のためのツールではない。しかも、発信は、発信者の邪(よこしま)なココロを拡散しているだけで、それは、受け手個人、しかも特定の受け手に向けて発信しているものではない。もちろん、たまに、スパイの連絡方法としてそういうのもあるかもしれないが、まあ、通常は「きみたちのこと」ではあっても、「きみのこと」ではない。過剰に反応する必要はない。殴られるわけではないのだから。一方、同様に邪な確率でブラフとして、さも指向性があるかのようなテクニックが使われることもある。厄介で大変で、寒い時代だとは思わんかね、アムロくん


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#そこはなとなく書きつくれば
#ガンダムは無関係でした
#ガンダム大地に立つ
#ガンダム窮地に立つ
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