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映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」

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Spoiler Alert!
三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実=☆☆/☆☆☆☆☆

作家の三島由紀夫と東京大学の学生運動に参加している学生たちが東大内の講堂で討論会をした、という1969年5月13日の映像をベースに、三島由紀夫や東大全共闘、あの時代とは何だったのか?というのを描こうとしたドキュメンタリーです

まず、三島由紀夫、といって、今の若い人たちは、どこの誰だがわかるんですかね?ある意味、教科書に載ってるような人ではありますので、名前ぐらいは知ってるかもしれませんね(←試験には出ないと思いますけど……笑)

三島由紀夫は、1925年(大正14年)東京生まれの作家です。13歳から小説を書き始めたといい、学習院から東京帝国大学に進学。卒業後は大蔵省に入り、程なく職業作家になります。代表作は「仮面の告白」や「潮騒」、「金閣寺」、「豊饒の海」などですね。

ノーベル文学賞の候補にもなった作家活動だけでなく、ボディビルやったり俳優をやったり、天皇大好きで、「楯の会」なる私兵組織を作ったり……と多彩な活動をした人です。そして、最期は、1970年(昭和45年)11月25日に、自衛隊の市ケ谷駐屯地に「楯の会」メンバーと乱入し、アジ演説をぶった後に、割腹自殺する……という何とも「早熟の天才」らしい劇的な人生を送りました

この映画のベースとなっている東大での討論会は、三島が自決する1年半ほど前のものです。その後の三島を知っている後世の我々にとっては、当時の三島が発する一言一句に、あたかも自らの未来を予告しているかのような「既視感」を持って見てしまうのですが、当時の実際の「熱量」=本編でも三島が口にしている単語ですが=が、三島本人はもとより、現場に居合わせた約1000人の学生を含めて、果たして一体、どれぐらいであったのかは、残念ながら、あたくしにはわかりませんでしたがね

ちょっと話が横道にそれますが……というのも、アタクシが三島について書くことは、今後もそうそうないと思いますので……(笑)いろいろと

さて、アタクシは、三島由紀夫の小説はいくつか読んだことがあります。叔父さんが全集を持っていて、その何冊かを中学~高校時代に持ち出して読んでましたね~
おそらく、読み始めたきっかけは、アイドルの女の子が「わたし、女優も出来ますっ!」ってカタチで主演を果たすのが定番となった感のある「潮騒」が公開されたのがきっかけだったと思います。時期的に考えるとヒロインは山口百恵でしょうね……。へ~~、三島由紀夫が原作なんだ~。読んでみるかー、だったのではなかろうか?

で、いくつか読んだ三島作品ですが……。いたく感動した……などの思いがなかったのは確かです。何故ならば、文脈やらフレーズやら、一つも覚えていませんので(笑)同じ頃に読んで、その後も、何十回も読み返しているアレクサンドル・デュマ(「モンテ・クリスト伯」「ダルタニアン物語」)とはエラい違いです

そんな中でも比較的覚えているのが「午後の曳航」ですね。こちらも映画になってます。映画の方が出来がいいかもしれないです(笑)
こちらは1976年の公開で、アタクシにとっては、まさに三島を読み始めたころです。確かに原作に忠実な映画で(舞台は外国になってますが)、少年たちが持つ「優しくて純粋な部分」と「残虐でどす黒い部分」、その目に映る大人たちの世界のカラクリ……そこいらが、原作通りによく描かれた作品だと思います
……
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……
さて、続きましては「全共闘」です。これまた、いまの世代には、何が何だかわからない社会運動でしょうね。が、ご安心ください。おそらく、当時、ほとんどの参加学生にとっても、何が何だかわからない運動だったと思いますから

全共闘とは、「全学共闘会議」のことで、学部やセクト(分派、とも言います)を越えて学生同士が、一つの目的に向かって共闘しよう……というもので、1968~1969年に日本全国に吹き荒れた「大学闘争」の中で生まれた学生運動の組織です

何を目的に学生運動が起こったか?というと、大学の授業料値上げ反対から入試制度などの大学改革、さらに進んで反戦平和から貧困の撲滅など、社会全体の改革までをも目指したのですな

全共闘を形容する表現として……

ノンポリ・ノンセクト・ラディカル

というのがあるように、全共闘とは、「決まった支持政党を持たず、特定の派閥・集団に属さず、武力闘争を厭わない」学生(←自称も含む)の集団であった、といえるでしょう。まあ、今風に言うなら、「やたら暴力的=しかも実力行使的=な無党派層の学生」ってところでしょうか?

ユーミンの歌で「いちご白書をもう一度」という歌がありますが、あそこに出てくる……

僕は無精ヒゲと髪を伸ばして
学生集会へも時々出かけた
就職が決まって髪を切ってきたとき
もう若くないさと君に言い訳したね

が、一般的な全共闘時代の学生像でしょうかね。一般的でない、より先鋭化した学生たち……いわゆる「活動家」という連中ですね……彼らは、先鋭化し過ぎた結果、連合赤軍事件に代表されるように、反社会的なテロ活動や仲間内でのリンチ殺人などへと転がり、現在につながる「左翼=危険思想、テロリスト」という、右翼や権力者にとって極めて都合のいいマイナスイメージ作りに大いに貢献しました

さて
このドキュメンタリーは、その学生運動・全共闘がもっとも盛んだったころの記録でもありますが、映画をみていてわかると思いますが、全共闘の学生というのは、非常に観念的です。現代からみても所詮は「言葉遊びに終始している」ような感じです。森田なんとかとか言う国会議員風に言うなれば「極めて生産性のない運動」でしょう

まあ、言い方は悪いですが、親の仕送りなりなんなりで生活して、学生という大した責任もない立場で、自治だの反権力だのを上から目線で訴える……。そりゃあ、優雅で暢気なものだなぁ……と思いますね。揚げ句が先鋭化して、「内ゲバ」と呼ばれる暴力三昧でしょ?そりゃ、だれだって、そんな運動・活動が世間からの支持を得られず衰退・消滅していくのは当然だ!と思いますよ

※ゲバ=ゲバルト。ドイツ語で暴力
※内ゲバ=内部向けの暴力。一般的には、本来は同じ左翼に分類されるグループ同士なのに、思想や方法論が違うことなどを理由に対立し、暴力をもって相手を粛正しようとすること

と、いうのも、アタクシは全共闘などが作り出した「政治の時代」から20年ばかし後に大学に入り(←地方大学ですけどね)、学生寮に、しかも「自治寮」なるものに入ったもので、学生運動のようなことにも関わりました。もちろん、この「三島由紀夫vs東大全共闘」の時代ほどの熱量はありませんでしたが、「学生運動」というものはとかく、参加する者にある程度の「熱量」の放出を求める活動形態なので、朱に交わったアタクシとしても、薄紅色ぐらいの焼け焦げ跡はDNAの中に残っています

で、驚いたのは、あたしゃ18歳で大学に入りましたが、「他学部の先輩」というのに30代の人が居たことですよ。何でも、「学生運動」を続けるために、大学を何回か入り直しているのだとか。当時は、一度入学して授業料さえ払っていれば、ずるんっと8年間は在学出来たので、8年が過ぎたところで、また大学に入り直すのを何度が繰り返してた……とかいう話。学部は替えずに、学科を替え、そのくせ卒業はしない、ってのがミソだったような……あまりに呆れたせいか、ちゃんと覚えていなくてスミマセンではあるのですが(笑)

当時も今も、彼が何を目指してそないなことを繰り返していたのが、いまだに不明ですが、たぶん、彼にとっては、活動を継続するにあたって、「大学に籍がある」ってのが大事だったのでしょう

そういうわけで、アタクシの知っている「学生運動家」「活動家」たちは、既存の権威は否定するくせに、自らにかかわる「学籍」などの肩書には妙にこだわる、という、実に不思議な人種でしたね~

当時も思っていましたが、「学生運動」なるものは、所詮、「箱庭の自治である」と思います。自ら立っていない…自立も自律もしていない存在が、権力に与えられた「箱庭」の中で、権利主張をする……まさに、何をか言わんや

まあ、そもそも論で恐縮ですが、権利というのは、何か義務を果たしたご褒美として与えられるものではないので、置かれた状況の如何を問わず、それを要求するのは全く正しいあり方ではあると思うのですが……当時から「????」だったのは、その論法です

「我々は、我々の学ぶ権利を放棄してまで、抗議のためのデモを行う!」

ってな感じで、毎度、もっともらしく、当時も大学の生協食堂の2階のバルコニーからアジってた先輩が居ましたが……

「あんた、そもそも、日頃から授業出てね~べやっ!」

と、思わずツッコミを入れたくなる。そんな話ですよ。「まず、学校行って、授業に出ようや……」ってね
……
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……
まあ、懐かしさもあって、話が長くなってますが……(笑)
本編の話に戻りまして……。見ていて「凄いな」と思ったのは、映画の中で平野啓一郎氏も言ってたように記憶するのだけど……

三島は全共闘側からの時として無礼な投げ掛けに対し、激高したり、頭ごなしに否定したりを一切しなかった、という点ですね。時には苦笑しながらも、丁寧に話を聞き、逃げを打つこと無く自分を晒し、相手に向かい合っているように見えました。本編内では、「その場に居た1000人の全共闘を説得しようとした」などとも表現されていますが、確かに、三島は堂々とした「大したヤツ」です

と言うのも、言論人……とりわけ近年の「論客」と呼ばれる連中が、何かと言えば冷静な「議論」が出来ず、自分の「正義」を他人に押しつけるだけに屁理屈を並べ、口から泡を飛ばしている姿ばかりを見るからです
「論客」に限らず、国会での論争からテレビのコメンテーターにしても然りです。弁護士の肩書なんぞを持っている連中が特に酷い。感情にだけ根拠を置く説明の言語化には長けているものの、冷静な論証は出来ない。言葉尻を捉え、相手を攻撃するだけの姿に、余程カルシウム摂ってないのだろうな、と心配すらしてしまいます

そんなこんなで、今日日の国会での議論の嚙み合わなさを三島が見たら、何ていうでしょうねぇ。アンタが腹切ってからほぼ半世紀、日本人の脳みそは、ここまで劣化してるんだぜ……
……
……
……
「全共闘」や「学生運動」については、関わった自分の経験値も含め、いろんな場面場面で否定的なアタクシですが、大事な、大切な部分もあったとは思いますね
それは……

議論すること!

これは大事な作業だと思いますよ
議論する。言葉と言葉を交わし合って、お互いの考え方の違いを理解したり、説得したり、妥協点を見いだしたりする、そんな作業です
アメリカなどで行われる「ディベート」となると、よりテクニカルな感じがするのですが、日本語における「議論」とは、まあ、そこまでテクニカルな話ではなく、とにかく、例え些末なテーマであっても、言葉を駆使して「理解しあう」とでも申しましょうか……。「互いに理解し得ない、ということを理解する」というのも、立派な議論の結果です。またしても「そもそも論」になりますが、「議論」そのものは、相手を論破することが目的じゃあない。「正解」はない世界なので

いまはみんな議論しませんね。質問もしない。そんなに何でも簡単に「わかる」「わかってしまう」「納得しちゃう」ご時世が不思議でなりません。もちろん、「わかりやすいこと」は大事ですが、モノゴトって、そんなに簡単にわかり得るものなのでしょうか?
 
議論経験って、大事だと思います

そして、それは若い時に、最低でも一度は経験しておかないと、と思いますね
何故ならば、議論とは時として、非常に「青臭い」側面を持つからです。そして、その「青臭さ」は「少年」にとっては生臭さ過ぎて俎上には上がらず、一方で、「成年」にとっては、理由の如何を問わず、時として併せ呑む度量が問われるものだからです

ある意味、議論に明け暮れる……などというのは「青年」にこそ出来る特権であろう、と思うからです

いずれ、三島由紀夫はとっくの昔に死んでしまいました。が、もし、三島が現在も生きていたとしたら……まあ、彼の生き様を考えると、こんな現代まで、そもそも生き存えているとはとても思えませんけれど……現代ニッポンに向かって、どのような「説得」を試みただろうか……この映画はそんな「if」へ思いをはせたくなるような作品だった、と言えるでしょう

もちろん、その人なりの話ではありますが……

「卿はアレをどう見たか?」

そんな興味をかき立てる作品だったような気がします

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