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映画「峠 最後のサムライ」

峠 最後のサムライ ☆/☆☆☆☆☆

戊辰戦争で、官軍と戦った越後・長岡藩の家老・河井継之助のお話です。河井継之助は役所広司が演じています。この作品のコピーでは「敵軍50,000人に、たった690人で挑んだ“最後のサムライ”」などと、やたら「サムライ」を強調してますが……う~~む

サムライって、そんなにスゴイもんなんですかね?そもそも

「サムライ」をやたら強調するのって、大体はインチキ・ペテンですね。その言わんとしてる「サムライ」ってなんだよ?と思いませんか?江戸時代のサムライを指すなら、ほとんどのサムライは藩に所属する「サラリーマン」でしたよw
みんなが武道に長けてた訳でもなく、「ソロバン侍」だって居ましたわなぁ

刀を抜いて殺生をするだけがサムライじゃあござんせんw
だとした「武士の家計簿」は、「最後のソロバン侍」ですわなぁ

さて……

原作は司馬遼太郎の小説ですね。以前は読んでみたいと思っていましたが、この映画を観た限りでは、読まなくてもいいかな~という感じですね~

まあ、ざらっと粗筋やら時代背景やらを語ってみると……

Spoiler Alert!

慶応3年(1867年)、時の将軍・徳川慶喜が大政奉還……要するに「幕府が持っていた日本政府としての政治権力を朝廷にお返しします」ってヤツをしたもんだから、260年余り続いてた江戸を中心とした徳川幕府は終焉を迎えます

もちろん、徳川慶喜が政権を放り投げるまでには色々な事件があったのですが、まあ、当時300余藩と言われた全国各地の藩(一つの統治行政単位でもあるので、現在で言うなら県でしょうかね)は、薩摩・長州を中心とした「倒幕し天皇中心の統治体制に戻そう」というグループと、「それでも幕府による統治の継続を望む佐幕」のふたつに分かれます

倒幕グループには現在で言うところの九州や四国・中国地方の藩が多かったので「西軍」となり、一方の佐幕グループは、江戸を拠点とする徳川家を始め、東海から関東、東北の藩が多かったので「東軍」となって……まあ、別段、当時、そういう呼び名があったわけではないですが、なんやかんやで、内戦に突入していくわけです

日本国内の戦争(対外戦争ではないので、内戦ですね)とは、それこそ、奈良・平安・鎌倉・室町……。どの時代を見ても、基本は「天皇家の権威を担いだ方が勝ち」。わかりやすく言うと「玉取り合戦」です。「玉」は「タマ」とも「ギョク」とも読みますね
それでもって、最悪、仮に「正統な王」を獲りそこねても、武力で都を制圧して、どっからか「天皇の血筋」につながるヤツを連れてきて、そいつを「即位」させる……なんて裏技もあります。室町幕府なんぞは、まさにそれでしょうね

そういうワケなので、めでたく「玉」を手中にした方が「官軍」です

天皇の周囲に居る公家を脅して「錦旗(きんき)」もしくは「錦の御旗」を手に入れ、それを掲げながら進軍する……それが、既存の歴史教科書的に言うなら「戊辰戦争」ってヤツになります

まあ、明治維新(戊辰戦争)から150年……

これまで「喧伝」されてきた明治維新史というのが、実はかなりの「噓っぱち」であった、というのは150年が過ぎて、やっとこさ明らかになりつつあります

さも、新しい時代を求めた若い勢力が、時代遅れの階級に凝り固まった古い社会制度を壊していく……みたいに喧伝されてきましたが、明治維新とはつまり、薩長を中心とする一部の勢力が、必要の無い国内戦争で国土を焦土化しながら、強引に「西洋化による近代化」を推し進めつつ権力を掌握した……そんなところが本質なんではないでしょうかね?

根底には、当時の日本よりも、遥かに近代化された西洋文明に対する、狂気とも言えるまでの恐怖感……まあ、本来は「西洋文明に対する無知」から来るものなのですが……そういものが「共通認識」としてあったようですね
当時の日本人というのは、それなりに識字率も高く、そこそこ文明化された社会だったもんですから、なまじ「西洋列強にアヘン戦争を仕掛けられ敗北した清国では、国民すべてが西洋人の奴隷となっている」みたいな、必ずしも正しくない情報であっても、それなりの知識階級にはこのような「異常なまでの恐怖感」が伝染し、それが庶民にも広がり、やがては「攘夷」という国中を巻き込む狂躁を生み出していった……なまじ知恵のある人間の「無知から来る暴発」ってのは、ホント、恐ろしいモンですね

そんな中、その恐怖感や狂躁をうまく利用して政権奪取を果たしたのが、まあ、薩摩藩……まさに西郷・大久保だったわけですよ

話を本作品に戻しますと……

幕末期、諸藩は「東軍」と「西軍」に二分されていく。そんな中、越後(現新潟県)の小藩・長岡藩は、家老・河井継之助の指揮の下、「武装中立」をめざします。河井は「民の暮らしを守るために、戦争を避けようとした」などとされますが、作品を見た限りでは、そこまで「民の暮らしを守ろう」としていたようには見えませんでしたがねぇ……。

むしろ、旧態依然とした硬直思考のまま、なすすべもなく、藩を戦争に巻き込んでいったようにしか見えませんでしたね。ま、役所・河井の人物像の薄さかもしれませんがw

実際、長岡の街での河井継之助の評価は、なかなか微妙です

長岡には、実は、同時代の「偉人」として、小林虎三郎という人が居ます。だれ?それ?と思うかもしれませんが、「米百俵」という言葉は聞いたことがあると思います

「米百俵」のエピソードは、2001年に当時の小泉純一郎首相が所信表明演説に取り込み大きな話題となったものですね
戊辰戦争の敗戦で廃墟となり、食うや食わずの暮らしをしている長岡の再建のために、支藩の三根山藩が「米百俵」を贈ってくれましたが、その「米百俵」を「食糧」として食べてしまうのではなく、売却してそのカネで学校を整備し、「次世代を担う若者たちの教育に力を入れよう」という、まさに「国を豊かにするためには、何よりも人づくり=質の高い教育」という、日本人が大好きな理屈を、小林虎三郎が提唱し、実践した、というものです

長岡には「幕末の三傑」と呼ばれる人物が居ます。河井継之助、小林虎三郎、三島億二郎です。河井は西軍(新政府軍)と戦うことを主張する主戦派、三島は恭順派、小林は反戦派だった、と言われます。河井は主戦派として戦争を呼び込んだだけでなく、戦略の一環として長岡城下でも戦争をしましたから、「長岡を焼いた男」として、厳しい評価も受けています

一方で、三島と小林は、その後の長岡の復興に生涯をかけたわけで、焦土に残された人々・民にとっては、どちらが「偉人」だったかは、まあ、推して知るべしですわ

……とまぁ、いろいろ立場や事情もあった河井継之助の生涯をディスるのはこれぐらいにしてw

まあ、この作品で言うなら、おそらく脚本がダメだったんでしょう。基本的に「時代劇」には違いないんですが、印象としては「お茶の間劇」とでもいいましょうか、屋内のドラマ、要するに、人と人の掛け合いの場面が多かったような印象です

もちろん、時代劇だからといって、5分に1回、チャンバラシーンが出てこなきゃイカン、ってわけではありませんが、まあ、この人物像のぶつかり合いの場面が、まあ、ナンともうしましょうか、感動が乏しかった、といいましょうか、のっぺりと退屈だった、と申しましょうか……。決して、役所広司や榎木孝明(そうえいば、三島億二郎役でした)といった「名優」たちが、そんな場面をぶち壊しにしたんではないと思いますがね……

つい最近までいろいろ話題を提供していた東出昌大が徳川慶喜役で登場した瞬間、映画館内に失笑が広がったのはナイショですwそれと、土佐藩軍監・岩村精一郎役で吉岡秀隆が出てますが、あんなエキセントリックな軍監だったら、「そりゃ戦争にもなるわ~~」と、適役だったかもしれませんが、ドラマ的には、かなりゲンナリさせていただきましたね

救いだったのは、河井継之助の妻・おすがを松たか子が、継之助の従僕・松蔵を永井絢斗が演じてますが、この2人が、まさに時代に翻弄される、1人は武家の妻、1人は武家の小姓ですが、その苦悩や葛藤を上手に、自然に演じていたなぁ……という点でしょうかね

よくわかんなかったのが、プロダクションノートを見てわかったのですが、「長岡城下の旅籠・桝屋の娘、むつ」という役で登場の芳根京子と、「前長岡藩主・牧野雪堂」の仲代達矢ですね。芳根京子は、ん~~~、とにかく役回りとして不自然というか、無理やり物語りを仕立ててるというか、で、仲代サンは、「わざわざ引っ張り出す意味あんのかね?」って感じでしたなぁ

ホントなら、仲代サンのような大御所が出張ってくれば、作品にも、それなりの重みや深みが出るんだろうけど……

……ってなワケで、当初の想定より遥かに長く、ぐだぐだ具合もてんこ盛りになりましたが、まあ、そもそもがこんなんじゃ、生産的でもなんでもないんで、これぐらいにしますw

毎度、お付き合い、ありがとうございましたw

あ、念のため。酔っ払って書いてるワケじゃないですからねw
で、言わずもがな、ですが、書いてあることはすべて、「個人的見解」ですからね。あたしゃ公的な歴史研究者でもないんで、ハイ


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