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映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-」

聯合艦隊司令長官 山本五十六  -太平洋戦争70年目の真実- ☆☆/☆☆☆☆☆

2011年の作品ですね。太平洋戦争当時の日本海軍の連合艦隊司令長官・山本五十六(1884~1943)の生涯を描いた映画です。

山本五十六と言えば……

「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」

とか

「苦しいこともあるだろう。云い度いこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣き度いこともあるだろう。これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である」

といった名言・格言で知られていますね
特にこの「やってみせ~」は、仕事に臨んでの上司の心得とでも申しましょうか、あるいは、部下への接し方とでも申しましょうか、ビジネス訓としても人生訓としても、いろんな場面でしばしば引用されていますね

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Spoiler Alert!

また、山本五十六は、「常在戦場」という言葉でも知られてますね。

この「常在戦場」とは、出身地である新潟・長岡の長岡藩の藩是だそうで、文字どおり「いついかなる時も、自らは戦場に立っていると思うように、何事も緊張感をもって万事心得よ……」というような意味ですね

山本五十六は、これを「座右の銘」としていたんだそうです

長岡藩といえば、江戸時代初期のその誕生から、藩が消滅する江戸幕府滅亡と武家社会の崩壊までの間、ほとんどその動静が歴史に名を残すことのなかった田舎の藩でありましたが、戊辰戦争(1868年~1869年)における河井継之助をリーダーとする薩長軍(官軍)への徹底抗戦=いわゆる「北越戦争」とその敗戦で、今日でも人々の記憶に残る歴史的キーワードになりましたね

また、この長岡藩は、消滅から130年近くを過ぎた2001年に再び歴史の表舞台に登場します。それは、当時の小泉純一郎首相が、旧長岡藩で、戊辰戦争による戦災で荒廃した故郷の再建に尽力した旧長岡藩士・小林虎三郎の「米百俵」のエピソードを、その所信演説に引用したからです

ちなみに、「米百俵」のエピソードとは、「今の自分の空腹を満たすよりも、将来のために人を育てよう」というようなものです

戊辰戦争で敗戦し焼け野原となった長岡藩へ、その支藩であった三根山藩が米百俵を贈ってくるのですが、これを藩士・小林虎三郎が「国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ」(←出典はwikiです)と教育の優先を主張し、そのコメは売り払って、学校を作った……というものです。その学校は、武家の子弟だけでなく……当時は既に明治になっていましたので、「四民平等」ということもあり、広く、武家以外の子弟の入学も認められるなど、極めて開明的なものだったそうですよ
実は、山本五十六もこの学校(山本が通っていた当時の名称は、長岡町立阪之上尋常小学校)の卒業生です

さて

話を海軍軍人としての山本、つまり映画の話に戻しますが……よく言われる話ですが、太平洋戦争における日本帝国海軍や山本五十六を語るエピソードとして、こないな「定説」があります

曰く
「海軍の多くは日米開戦には反対だった」
「山本五十六も日米開戦に反対だった」
「パールハーバー(真珠湾)攻撃は外交のミスで結果、『奇襲攻撃』になった」
「パールハーバーで空母を撃ち漏らしたことが、太平洋戦争の敗戦につながった」
……は、今回のドラマのベースにもなっています

アメリカと戦争したら確実に負ける

これは、実は当時ですら、まともな政治家や軍人たちにとっては共通認識事項だったようですね。山本もそうですが、映画で言うなら「硫黄島からの手紙」にも登場する栗林忠道陸軍中将(←この映画で栗林中将を演じているのは渡辺謙です。話的には偶然ですが、長岡藩領の隣である現魚沼市の出身ですね)ら、当時の日本軍には、アメリカに駐在武官などとして赴任・留学した経験のある軍人が結構いました

いまでもそうですが、アメリカ合衆国と日本との国力の差は歴然です

それは、国土の広さに始まり、地上から地下までの資源の豊かさ、そして、全員ではないにせよ、目標を設定しそれを完遂するために何事かを冷静に冷酷にやり遂げる国民性など、日米間は、比較すること自体が馬鹿馬鹿しくなるほどの差が、当時は今以上に実在していた……。駐在武官なわけですから、そんなのは目の当たりにしていたわけですよ

日本人がまだ草鞋で泥道を歩いていたころに、アメリカ人は、既に自動車で走り回っていたわけです。膨大な量の物資をつぎ込み、ひたすら破壊と殺戮を行いつつ消費する活動が戦争であるわけですから、普通に考えれば、戦争では、より国力のあるほうが勝ちます。双方の差があればあるほど、開戦自体が、既に自殺行為でしょう

まあ、毎度の「戦争論」ともかくとして……笑

この映画で、「こここそがポイント!」と思ったのは、実は、山本五十六本人というよりも、そこに登場する新聞社ですね。おそらくあの新聞社は「朝日新聞」でしょう。戦前の朝日新聞は、日露戦争当時も含め、論壇主戦派で、さんざん戦争を煽ってましたから

で、香川照之演じる新聞社の主幹?主筆?がまた、強烈な人物ですわ。太平洋戦争が始まるまでは、それこそ「神国であるところのニッポン」は、「なぜ劣等国であるところのアメリカを相手に『正義』の戦争しないのか」などとばかりに、開戦に消極的である軍幹部たちを糾弾し続け、偏った情報と恣意的分析を根幹に世論を煽り、戦争を賛美し……。そのくせ敗戦を迎えると、過去の自らの言動など一顧だにせず、コロリと態度を変えて、恥も外聞もなく、「民主主義だ」と叫びます

そんな、日々、軽挙妄動し、しかも、どんな時代でも難なく生き延びる浮薄な変節漢を、香川照之の、毎度でねちっこい演技が、実にいやらしく浮き彫りにします。まあ、もちろん、映画そのものはエンタメではありますので、ある意味わかりやすく、しかも、かなりマンガちっくではありますが……笑

しかしながら、この香川照之が表現しているのは、これら戦前に限らず、日本人が何かというと「いきなり全員が一方方向に向かって、考えもなしに全力で走ってしまう」という国民性そのものであると思います。まさに「怪演」ですね

アタクシにとってこの映画は、山本五十六の人物や偉人像というよりも、「日本とは?」「日本人とは?」といった部分に目が行きましたね、結果

正論っぽくて、「なんとなく勇ましい」言葉たちが、世論を日々、戦争へ戦争へと導いていく。その大きな流れの中で、果たして「立ち止まって、冷静に考え、判断する」ことが出来る日本人がどれぐらいいるのだろうか?これは決して「過去の歴史上のお話」ではないのでは?

ましてやここ数年、我が国政府は「(戦争の出来る)普通の国」とやらを目指して、戦争や武力行使へのハードルをどんどん下げています。真摯な姿勢で事に臨み、相手を素直に理解しようとはせず、単純な「嫌悪感」や「無知」だけで、自分以外の存在を「ヘイト」する人たちは、残念ながら、確実に、やたらと増えてませんか?

そんな感情的情勢判断だけを根拠に、話の内容ではなく「手数」や、その「声の大きさ」だけで「世論」が形成され、そして、その欲求不満のはけ口として対外的な武力行使を求める声がどんどん大きくなっていく。そんな事態になったら……

いまは既に、別の「戦前」かもしれない。そう思えることはないですか?
どうなんでしょ?

と、そういえば、この作品、主演は役所広司です
こちらも毎度、妙に脂ぎっててナンですねぇ(笑)。結果的に役所広司が主演している映画は結構観ているのですが、役所広司は誰を演じても……全部、同じに見えちゃう(笑)ある意味、キムタクよりも遥かに深刻な事態かも、ですよ、姉さん。これまた「怪演」?って言えば「怪演」かもね

また、山本五十六は、そういうわけで、確かに新潟県の出身ではありますが、新潟を妙に強調する、ましてや、何かわざとらしい「水饅頭」とかのシーンは必要だったのかなぁ。それはちょいと謎でしたね。違和感ありありで、長岡市はスポンサーにでもなってるのかな?と思ったぐらいでしたよ

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