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結果を残す、とは?/勝手に「人生相談」……【徒然なるマンマミ~ア】

徒然なるまんまみーあでその日暮らし、ふぐりを向こうにコロコロうつりゆくロクでもないことを、底浅く書き綴れば、あやしうヤツこそ、もの欲しグルメ。いにしへ人に曰く、事実は東スポよりも奇なり。人生は糾えるチョコレートボックスの如し、と……

またまた、勝手に「人生相談」です。ま、相談の「横やり」とでも申しましょうか?今回も前回や前々回同様に、読売新聞からの拝借です……

Do you get the idea? 

【相談者・30代前半の男性公務員】
年齢を重ねることに恐怖心を感じている。数年前「35歳限界説」を知った。転職でも婚活でも、経験というプラスを年齢というマイナスが上回る分岐点が35歳だと。これを念頭に頑張ってきたが、転職も婚活も結果が出ず時間は過ぎていく。誕生日が憂鬱だ。学生時代に大きな挫折をして、人より劣る自分は何倍も努力をしなければならないという強迫観念もある。両親は「お前のペースでいいから」と言ってくれるが、心配させ親不孝をしている自分に怒りを感じる。真面目だけが取り得で、職場の花形部署にいるが、必死に働き結果という事実を出せない自分に焦るばかり。心が整理できません……

【回答例】
「35歳限界説」……初めて聞きました。「何となく最もらしく聞こえることは、大体はウソ・偽りである」という話があります。35歳説、極めてインチキ臭いですねぇ。信じうるべき何モノもないですね……

「すべての事件の陰にはユダヤがいる」みたいなもんではないでしょうか?

三段論法的に言うのなら「大前提」がそもそも間違ってると思いますよ

つまり、それは「35歳限界説」というものが、確固たる「説」として存在している、という認識です

英語にこんなんのがあります

garbage in, garbage out

言い得ていて妙ですね……「ガラクタを入れる、ガラクタが出てくる」

そもそもが「正しいかどうかわからない」……あえて、「間違っている」とは言いませんけどね…ソンなものを「基準」にして、その先を「組み立てよう」「成り立たせよう」といったところで、そりゃあ、ロクなモノは出来て来ないでしょうね

つまり……「35歳限界説」止めませんか?(爆)

……とはいえ、そう言ってしまっては、相談者さんも「なんのこっちゃ?じゃあ、どないせぇつーねん?」でしょうから、一応解説します

なるほど、仮に、日本中の人たちを一定の枠にはめ、その上で平均化すると、その「35歳説」とやらも、多少のなんかしらの信憑性を持つのかもしれません

あなたは私ではないし、私は他のだれかでもない。これはまさに、毎度の「私は大川○法であって、大○隆法ではない」の類いであって、誰かの人生を統計学的に分析して、35歳が分岐点だ……などと最もらしく語るのは、どう考えても「不幸の科学」以外の何モノでもないのでは?と思うんですよ、ワタクシは

だって、「花形の職場」にいるんでしょ?「日陰」だの「掃きだめ」にいるのより、どれほどか良いじゃないですか。行きたくたって行けない人もいるんですぜ。素直に喜んで、幸運を享受しましょうや。だめ?

ふむふむ……「結果を出せていない」……そうですか?

まあ、いいじゃないですか。そんなモノは

つーのは、おおよそ、社会人にとっての「結果」なんてものは、他人の評価と数字です

もし、あなたがその「花形の職場」とやらで何年かしてきたことが、本当に、他人から「まったく評価されず」、実数字としても「評価に値しない」というのなら、それはそれで大いに反省すべきで、枝ぶりのいい松の木でも探してきた方がいいかもしれませんね

が、果たしてそうでしょうか?

気休めではありますが、もし、本人が言うように「真面目だけが取り得」で「必死に働いてきた」のだとしたら、必ず、だれかしらが、しかも、それなりにちゃんとした評価をしているハズです……いや、絶対にしてます

なぜならば、組織というのはそういうモノだからです。組織は、その組織を維持するために常に何かしらの「アメとムチ」が必要で、評価は、その両方に使える、一番簡単で、手間もカネもかからないシステムだからです

なので、あなたは、必ず、誰かからか「評価」されています。「真面目だけが取り得」で「必死に働いて来た」のだったら、それは、あなたの望むような数値やカタチではないかもしれませんが、少なくともマイナス評価にはなってないハズです

不真面目で、ぐうたらに働いているヤツに高評価を与えられるほど、この国の組織は大人でもなければ、余裕があるわけでもないからですよ

それにもう一つ

評価の発生とは、必ずしも直属の部内だけの話ではありません。もしかすると、遠くからみている庁内関係者がいることでしょう。或いは、仕事で付き合いのある別の役所の人が高く評価してくれているかもしれないし、仕事で接した民間人や市民が、想像以上に高い評価していてくれるかもしれません

しかしながら……

惜しいかな、その「35歳限界説」とやらに囚われてしまっているあなたには、その「誰か」も見えなければ、その下されている評価にも、まったく気付いて無い、ということですよ。それは仕事に限らず、異性に対しても同じことでしょうよ

人間は、透明人間にはなれませんが、「見たくないもの」を「見なかったことにする」ことは出来てしまうという、極めて不思議な能力を持った存在です

マイナスな意味では「ガン無視」したり「聞こえないふり」したりがありますよね。「聞く」回線の中の一つを閉じてしまって、「聞こえない、意識の外に置く」なんてことも実際可能です。感覚遮断、ってヤツですな

一方、プラスな意味では「ボールが止まって見える」とか「周囲の音が聞こえなくなる」などと、まさに「全集中」の状態すら作り出せます。もちろん、「全集中」が出来たからといって、呼吸に合わせたさまざまな型が繰り出せる、ってワケじゃないですけど……ね

自分が劣っている、と自覚しているなら、見合った努力をしましょうや。他人の顔色ばかり伺って、内向きになったって、時間は誰にとっても均等に流れているだけなので、あなただけが自分の殻の中に取り残されますよ

そして両親のことを不憫に思うなら、顔を上げて、元気に暮らし、両親よりも長生きすることです。一番の親不孝は、親より先に死ぬこと、ですよ。それさえしなきゃ、両親は、大体のことは認めてくれるはずです。PL法の観点から言っても、そんなに「過大」な要求はないはずですぜ、余程の「毒親」でもない限り

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