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映画「半次郎」

半次郎 ☆/☆☆☆☆☆

 半次郎(はんじろう……たんじろう、じゃないよ)、と言えば、「人斬り半次郎」。すなわち、薩摩の中村半次郎……後の陸軍少将・桐野利秋のことですね

 幕末の「人斬り」5傑=薩摩の「人斬り半次郎」こと中村半次郎、同じく薩摩の「人斬り新兵衛」こと田中新兵衛、土佐の「人斬り以蔵」こと岡田以蔵、肥後の「人斬り彦斎」こと河上彦斎(げんさい)、長州系志士で「人斬り抜刀斎」と呼ばれた緋村剣心(緋村抜刀斎)=のウチの1人ですね(※)

 この映画は、薩摩の貧乏武士の家に生まれた半次郎が、剣の腕をもって、西郷隆盛の護衛兼暗殺部隊となって幕末を駆け抜け、明治維新後は、西郷と一緒に反乱を起こし、遂には戦死する……そんな物語です。公開は2010年10月。主役の中村半次郎は、この映画の企画を13年かけて実現させたという榎本孝明です

 歴史の大きな流れから見れば、中村半次郎は、脇役ですね。西郷隆盛が居たから、その取り巻きであった中村半次郎も記録に残り、かつ、戊辰で死ななかったから、明治に入ってもその名を残した……。しかしながら、やはり、歴史上の「主役」クラスに比べると、記録もエピソードもそんなには、ない。よくぞ主役に抜擢しました、ってな感じです

 少ないエピソードを飾り立てるもんだから、どうしても、話はぶわぶわになり、キャラクターの描き方も一辺倒になってしまう……まあ、仕方のないことだと思います

 人の人生は、たとえどんな人でも、確かに、その人なりにドラマチックです。しかしながら、それを小説なり映画なりで描こうとすると、余程の取材力と筆力、表現力が必要です。ドラマを表現するのは、とかく難しい。果たしてこん映画はどぎゃんじゃったと?

 歴史の脇役……を主人公にしてドラマを仕立てる、というのは、アタクシの記憶するところでは、2009年のNHK大河ドラマ「天地人」で、上杉景勝の家老・直江兼続が登場してからではないか、と思いますな。まぁ、マンガでは、この直江兼続の「盟友」であるところの「前田慶次」なんぞも主人公として登場していますが……前田慶次は、実在はしていたようですが、今日、ドラマやマンガで出てくるのは、ほとんと「架空状態」の人物ですので……(笑)

 いずれ制作する方はナンともチャレンジですね。少ない史実に膨大な空想を加え、それなりに整合性が取れるようにキャラクターを配置し、動かす……。果たして

 これまた、あるあるな話ではありますが、正直、榎木孝明の主役はどうだったんでしょうねぇ……。御年、お幾つかは知りませんが、前半の戊辰前に至っては、里見浩太郎サンほどではないにしろ……無理ね?オイは結構、顔のたるみとかが気になりモンソ。前半だけでも若い俳優に任せたほうがよかったのでは?と思いますわ

 そんな意味では、この映画が時代劇初挑戦となったそうですが、半次郎の親友・永山弥一郎を演じたEXILEのAKIRAが、コン作品のマッコト良かった点でゴワス

 話は映画から少し外れますが……

 半次郎に限らず、西郷隆盛しかり、ですが、当時、多くの士族たち(旧武士階級)は、自分たちが「力ずく」で、自分たちの階層が圧倒的支配者層であった旧政府(徳川幕府)を倒し、近代的な中央集権国家である明治新政府を造りだしたわけです。しかしながら、それにもかかわらず、いざ時代が新しくなったら、その、新しい世の中に馴染めず、不平士族・不満分子として、時代の流れに逆らい暴発していきました。そして結局は、この映画で描かれた「西南の役」のような武力反乱を各地で起こし、結局は、新政府の圧倒的な武力によって鎮圧されていきます。まさにパラドックスです

 自分たちで造っておきながら、いざ出来上がったら不満だらけ……まさに、なんじゃそりゃあ??の話ではありますが……。これこそまさに、実は「明治維新の本質」がここに隠されているのではないしょうか?

 つまり、多くの武士にとって、それが例え倒幕運動の主力となった薩長土肥であったとしても、徳川幕府を倒した先の明確な「政権構想」「政治ビジョン」「国家観」はなかったのではないでしょうか?

 近年の研究では、歴史で喧伝されているほど徳川幕府が無能ぞろいだったわけではなく、むしろ、中世から近代へと緩やかな橋渡しをするための統治機能としては、むしろ、その後の薩長政権よりは有能であったのでは?ということがわかっています

 幕吏が有能であればあるほど、この連中を片っ端から粛正しないと政権が握れない……西郷や大久保利通が、すでに恭順を示している徳川家に対し、引き続き武力による倒幕(成敗)を推し進めたのも、それを口実に徳川幕府が持つ優秀な頭脳を刈り取ってしまうことが目的だった。最近ではこれが「定説」になってますね

 明治維新から150年。これまでの歴史書では、薩長土肥の官軍=善、徳川幕府=悪の権化で、その中でも、倒幕勢力に対抗した幕府要人たちは、例えば井伊直弼や小栗上野介といった連中は、さながら亡国の徒、国賊、売国奴のように描かれてきて、だれもがそれを疑ってきませんでした。新撰組は狂気の殺人テロ集団だけど、人斬り半次郎は維新の立役者……果たしてそれは歴史の本当の姿でしょうか?

 歴史書とは、戦争に勝った側が、己の正当性を誇示するために書き上げる妄想小説……。これは世界中の人類史を見渡しても、十分に証明可能な事実ですね。とかく「司馬史観」なんぞにどっぷりはまって歴史を見ていると、ちょっと先の未来どころか、今の立ち位置そのものまでもを見失いまっせ

 余談になりますが……
 
 それにしても、この「西南の役」には、ある意味、歴史は繰り返す、というか、歴史の持つ、醜悪な滑稽さが感じずにはいられませんね

 「西南の役」を起こしたのは、旧薩摩藩を中心とする「不平士族」たちです。薩摩藩といえば、明治政府を成立させた戊辰戦争では、薩長土肥を主体に構成された「官軍」の主力中の主力でした。実際の戊辰の戦いにおいては、最新鋭の武器……このころだと、最新鋭の武器といえば、「銃」と「軍艦」でした。中でも、前装式でライフリングがされているエンフィールド銃はそれまでの銃に比べ、速射率と命中率が段違いに高かった……を使い、刀と旧式銃の幕府軍を蹴散らしていったわけです

 で、西南の役は、1877年(明治10年)1月の勃発です

 つまり、戊辰戦争1868年(慶応4年/明治元年)からは10年も過ぎてるわけですよ。不平士族たちは、鹿児島にあった政府の武器庫を襲い、エンフィールド銃を強奪して蜂起にいたるのですが……政府軍は、エンフィールド銃より進化した後装式のスナイドル銃に換装しており……この映画でもありますが、勝負になりません

 10年前、自分たちがやった戦いを忘れたのか?10年もあれば、武器(兵器)は、前の戦いとは比較にならないぐらい進歩している。それは世界の常識。

 そういうわけで、近代の戦争……近代以降の戦争においては、武器の差が戦力の差に直結するのです。ジオン公国軍のシャア・アズナブル少佐は、「モビルスーツの性能の違いが戦力の決定的差ではない……」と言いましたが、それはシャアほどの使い手であればこそ吐ける、ある意味自信過剰な言葉であって、通常の戦いにおいて「武器の性能の差」は、相手が二階級特進になっちゃうほとの大差です

 映画でも終盤に登場しますが、刀同士での接近戦ならば、薩摩の示現流は一振必殺。斬られた相手が「肉塊」になってしまうほどの破壊力、といわれますが、どんなに猿叫をあげ「ちぇすとーーー」と斬り込みを繰り返そうとも、遠方から正確に当ててくる新型銃の前には、刀を交えることすらできません
 
 映画ではAKIRA演じる河上弥一郎が絶命するまで何十人もの政府軍兵士を叩き斬ってましたが、もし、本当にあんな戦い方をしたとしたら、中級指揮官は絞首に値する無能ですね。刀が相手なら、安全距離を保って銃で蜂の巣にするか、正確な射撃でアタマなり心臓なりを打ち抜けばいいのですから

※緋村剣心(緋村抜刀斎)はマンガ「るろうに剣心~明治剣客浪漫譚~」の主人公で架空の人物ですよ

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