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変わらないもの、変えられるもの/勝手に「人生相談」……【徒然なるマンマミ~ア】

はい、毎度の「勝手に人生相談」です。今回も読売新聞からの拝借です

【相談者・30代・女性会社員】
負の感情で苦しい。高齢の両親と暮らしており、父は数年内に自営業を辞める予定で母は専業主婦。父が仕事を辞めたら両親の年金と私の給料で生活していくことになる。貯金も大してない。知的障害があり施設に入所してる姉がいる。私は容姿も悪く、家庭の事情もあるので結婚も早々に諦めた。両親と姉の生活を支えていき、あと30年ぐらいしたら死んでしまおうかと。自ら選んだはずの人生なのに時折どうしようもなく辛い気持ちになる。自分1人で家族を支えきれるのかという不安。結婚や出産をしている友人への羨望、自己嫌悪。形容しがたい感情が渦巻く。自分の人生にどう折り合いをつけたらいい?
【回答例】
まず最初に、世の中には①「なかなか変わらない・変えられないもの」、②「ちょっとすれば変われるもの・変えられるモノ」、③「わりと簡単に変われるもの・変えられるモノ」のおおまかに言って三つの形態があります

例えば、あなたの親子関係や家庭環境は、①に入ると言っていいでしょう。あなたが自称する「容姿」も、もしかすると①かもしれませんが、実は結構、②だったり③だったりもします。物理的に目鼻の配置やカタチを変えるのは難しいですが、化粧などで見た目や印象を変えることは、決して出来ないことではないからです

相談の末尾にあった「自分の人生にどう折り合いをつけるか」は、③ですね。というのは、自分の人生への「折り合い」は、つまるところ、自分自身が「どう生きて行きたいか」という話であり、「折り合い」=つまり、納得の度合いもさることながら、そもそも「どんな目標設定をするか?」は自分に委ねられているからです

親御さんが高齢で、引退したら年金で暮らしていく……そこに相談者さんが、どうかかわっていくか、それを決めるのは相談者さん自身です。「親には、育ててもらった恩義があるのだ」……大いに結構です。恩義に感じて、日々、親に感謝しながら暮らしてください。しかし、それと相談者さんが「それからどう生きて行くか」は、全くの別問題です

つまり、引退した親と施設に入っている姉を「自分が支えていくしかない」という方向性は「誰の意思であるか」ってな話です。家族が望んでのことでしょうか?現在も同居しているようですが、それは、「両親が是非とも求めたから」だけではないでしょ?相談者さんの側にも何かしらの妥協点、あるいはメリットがあったから同居していたのでは?

②や③の状態にあるものを、頑なに①と思い込んで、決めつけてませんか?人はモノゴトの判断を「自分の手の届かないところで発生しているナニか」に委ねるのが好きです。それは最終的な「判断責任」のプレッシャーから、簡単に逃げおおせることが出来るからです。自分のせいではなく、「他人のせい」。これはとっても楽です

しかし、相談者さんもわかってますよね?例え「誰かのせいでこうなった」にせよ、その道を実際に歩んでいくのは結局、自分です。他人は「応援」はしてくれるかもしれませんが、あなたの人生を代わりに生きてくれるわけではない。それは、対親、対家族の関係でも同じです。例え家族が共通の「同じ目標」を持っていたとしても、です

例え家族が「共通の同じ目標を持っていた」としても、その「目標を実現出来る」のは、家族が、自分に関してかかわっている部分の目標だけです。自分以外の家族がかかわっている部分を、あなたがどうこうはできません。家族であっても、あなたの「人生の身代わり」にはなれないからです

毎回、すべてにおいてうまく行くかどうかはわかりませんが、この①と②と③を良く見極めてモノゴトに対処していくと、たぶん、今よりはぐんと良く回って行くと思いますよ。絶対に変わらない・変えられないものなんて、そんなにはありませんが、そんな難題に挑むよりも(まあ、それはそれで素晴らしい努力ですが……)、視点や方法を変えるだけで、十分に変えられるもの・変わっていくものをたくさん見いだして相手にしていったほうが、ずいぶんと楽ですよ

人生はトーナメント戦じゃないんだし、そもそも「勝ち」も「負け」も決めるのは自分です。何しろ、自分の人生なんですから。他人がどう思ったっていいじゃない


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